大関 政増(おおせき まさます)は、江戸時代初期の大名。下野国黒羽藩2代藩主。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは徳川氏に対する人質として江戸に赴いた。慶長10年(1605年)、叔父・大関資増から家督を譲られた。慶長19年(1614年)、里見忠義が改易されると、館山城の守備を務める。
同年冬からの大坂冬の陣では、徳川方に与して本多正信に属し河内国平野口を守備した。翌年の大坂夏の陣では、敵の首級を97個取った。
元和2年(1616年)5月30日、死去。享年26。
系譜
父母
- 大関晴増(実父)
- 白河義親の娘(実母)
- 大関資増(養父)
正室
- しゃむ姫 ー 水野重央の娘
子女
- 大関高増(長男)生母はしゃむ姫(正室)
- 大関増広(次男)
- 那須資重継室
- 浄法寺茂明室
脚注
出典
- 『寛政重修諸家譜』(六百五十八)
- 『創垂可継』




