松平 忠良(まつだいら ただよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。下総国関宿藩の第2代藩主、美濃国大垣藩の初代藩主。官位は従五位下・甲斐守。
略歴
松平康元の長男として三河国に誕生。
父と同じく伯父の徳川家康に仕え、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは家康軍に従軍した。慶長8年(1603年)、父の死により家督と所領を受け継ぐ。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で戦功を挙げたことから、その翌年に下総国関宿4万石から美濃大垣5万石へ加増移封された。
寛永元年(1624年)5月18日、43歳で死去した。家督は庶子である長男の忠利ではなく、嫡出子の次男憲良が継いだ。
系譜
- 父:松平康元(1552-1603)
- 母:不詳
- 正室:酒井家次娘
- 女子:金田房能室
- 次女:梅渓院(1606-1628) - 久姫、徳川秀忠養女、黒田忠之正室
- 次男:松平憲良(1620-1647)
- 女子:久姫 - 松平直政正室
- 女子:佐久間勝友正室
- 側室
- 長男:松平忠利(1605-1688)
- 側室:吉良義弥娘
- 生母不明の子女
- 三男:松平康尚(1623-1696)
- 女子:土屋某室
出典
- 「寛政重修諸家譜 巻第52」




