鹿又 武三郎(かのまた たけさぶろう、明治3年3月13日(1870年4月13日) - 1933年(昭和8年))は、仙台市長。検事。弁護士。
経歴
仙台出身。1895年(明治28年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、判事検事登用試験に合格した。1898年(明治30年)、湯沢区裁判所 検事となり、奈良地方裁判所検事、大阪地方裁判所検事、名古屋地方裁判所検事、富山地方裁判所検事正、名古屋控訴院検事、旭川地方裁判所検事正などを歴任した。
1919年(大正8年)、仙台市長に就任し、2期8年務めた。3期目を目指した1927年(昭和2年)8月の仙台市長選挙では、市会(市議会)投票において13票を獲得するも、15票を獲得した山口龍之助に及ばず落選した(当時の市長は公選ではなかった)。
この選挙戦では、市会において鹿又派と山口派が多数派工作のために激しく対立、市会の過半数の支持を獲得できなかった山口は、当選後にも困難な市政運営を強いられることになった。
市長退任後は弁護士として活動し、仙台育英中学校理事長を務めた。
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。




